「暇と退屈の倫理学」を読んだ感想


最近では技術系のことばっかブログに書いていましたが、そろそろネタがなくなってきたのと、久々に技術書以外の本を読んだので、感想など。

今回は「暇と退屈の倫理学」という本を読んでみましたー。

コレ↓

今の世の中、娯楽は過剰なまでに溢れているし、仕事もそれなりに忙しい。

それでも人は常に、退屈を感じ、熱中できるものを求めている。人は動かずにはいられない。

そんな現代人の在り方をわかりやすく書き記してくれています。

今回は、心に残った部分を切り出して感想を書いてみようと思います。

 

現代は浪費社会ではなく、消費社会

消費社会において、現代人は自分が何がしたいのかを自分で意識しづらくなっています。

昔は、欲求が、供給や生産を生み出しているが、今では、「あたが欲しいもの、やりたいことはコレなんですよ。」と供給側が需要を操作している。

確かに・・。

身近な例でいうと、自分は今、IT業界に勤めているのですか、最近のIT系のスクールで流行りの「未経験でも3ヶ月でフリーランス!」という文字を眺めていると、何か違和感を感じます。

モノづくりがずっとしたいにもかかわらず、ずっと開発に縁のない環境でグズグズしていた自分にとっては、「良い時代になったなー」と思う側面もかなりあるのですが・・・。やはり違和感。

それは、「楽しいことは確かにある、自分は楽しんでいるのだろう、でも何かがおかしい。コレは本当に自分で考えてやっていることだろうか?眼の前の楽しそうな事に飛びついてしまい、何かを取りこぼしてはいないだろうか?」みたいな気持ち悪さなのかもしれません。

私もそうですが、人は自分を奮い立たせてくれるものを求めています。

でもなかなかそういったものは見つからない。見つかって打ち込んでいたとしても、暫く経つとそれはすぐにただの日常となってしまいます。

そこに目をつけて、消費者が消費によって個性的になることを求めている広告で溢れているのが、現代の(特に日本の)状況なのかもしれません。

 

何かに真剣になること

「退屈とは、何か事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの」

「事件とは今日を機能から区別してくれるもの」

と本書では書き記していますが、逆に、世界情勢が不安定な時においては、「緊急事態、深刻な極限状態」が常にあって、真剣な生を生きる事ができる。という事についても示唆しています。

そうした状況では「すべてのことはいい経験」と考え、そうできるように努力しようと説いているラッセルの幸福論は素晴らしいのですが、一方で不幸への憧れを生んでしまうことについても警鐘を鳴らしています。

 

定住生活

本書は、人類が約1万年前に、中緯度帯で遊動生活から定住生活に移ったことについても注目しています。

確かに、いつも見る変わらぬ風景は、感覚を刺激する力を次第に失わせていくなー。と感じますね。

どんなに忙しくてやりがいのある会社を選んでそこで働いていても、その情熱はやがて陳腐化していく。

最近では、フリーランスのひとや、ノマドの人が増えている気がするし、憧れたりもします。

ただ、一方で、働く場所を変えたり、住む場所を変得ることによって、快感や、生きがいを見出す生き方も果てがなくなりそうな気がします。

何か情熱を傾けられているものを追い求めた結果、気づいたらそういった生き方を選んでいた。という方が個人的にしっくりきますね。

 

「本来はこうあるべきだ」と思うことのリスク

退屈な状況の中で、「コレは何かが違う」「こういう状況にあるべきではない」と感じた人は、「本来はこうあるべきだ!」ということを強くイメージする。コレはとても危険なことだと著者は言っています。

ありもしない「本来的なもの」の概念は人から自由な発想を奪い、冷静な議論を妨げる。

・・だいぶ身に覚えがあるのでグサリと来ましたね・・。「本来」って言葉良く使ってる気がする・・。

辛いことや、大変な状況が続いている場合、目の前の課題に対して真摯に取り組んだり、色々な人のアドバイスや対話を通して自分で判断して行くべきなのに「本来こうあるべきだ!」という想いが先行しがち。

 

退屈の種類

ゲームをしたり、テレビを見たり、Twitterをしたりするのも確かに楽しいですが、振り返ってみると退屈だなーと思うことがあります。

退屈には「暇があって退屈している」状態の第1形式と、「暇がないが退屈している」状態の第2形式があり多くの人は、大抵この第2形式の退屈を生きている。とのこと。

 

決断する。ということについて

決断すると人は快適になれます。決断さえしてしまえば、あとはやるだけ。「なんとなく退屈だ」という声は聞こえなくなります。

著者の方が警戒しているのは、決断は苦しさから逃避させてくれる。という点でした。

今やっている仕事やミッションが好きだからというよりかは、これをやると良い事が有るはず!というモチベだと、それは、決断の奴隷になってしまっている状態だというのです。

学生には特にそういう対象が無いため、毎日楽しく学生生活を謳歌していたとしても、「なんとなく退屈だ」という声が聞こえ始めてくる。

そうすると、「コレを勉強しておけば安泰だ」という世間から聞こえるより大きな声に飛びつき、決断するようになる。

決断することは楽。という主張は、

「悩んでる時間が勿体無い。決断しないと」

と言い聞かせていた自分に取ってはちょっと受け入れ難いところはありますが、確かに決断が目を曇らせる場面も結構あるのかもしれません。

 

自分だけの生き方のルールを見つけよう

本書では一貫して、消費ではなく、浪費をしよう!贅沢をしよう!と説いているのですが、

「わかるけど、なんかそんな余裕ない」

と私は思ってしまっているので、浪費をする訓練が必要ですねー。

最後の章では、衣食住を楽しむ事、食事を楽しむ事などが、「モノを受け取る訓練」になると、著者から提示されています。

消費行動だけでは、人は満足できない。故に消費が延々と続く。贅沢をしよう、

「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない」

帯に書いてあった言葉ですが、今では少し分かる気がします。

2018年は副業と本業でアウトプットまみれになってしまっているので、

今の自分にとっての贅沢は、

「朝、自分の作りたいものについて、コーヒーでも飲みながらゆっくり妄想する。」

でしょうか?

2019年は、余裕を持ち、かつ、贅沢な気持ちで過ごせる時間が増やすぞ!

そう思えるような良書でしたー。

 

————————-

この記事がお役に立てたら、是非シェアをお願いします^^